<連載:てっちゃん in ラオス>


  第9話  結婚式

結婚式
ラオスの結婚式
 約6ヶ月で、結婚の申請が受理されたのは、かなり早い方だったらしい。人によっては1年経っても受理されないこともあるということだ。私の場合は手続きの相談をした相手が、当センターで教えている生徒の父親で外務省の役人だったのが良かったのだと思う。タイで買ったパソコンなどの通関手続きのときもそうであったが、キー・パーソンに出会えれば物事はスムーズに運ばれる。ラオスはまだ法治国家というより、人治国家といえる。市場経済を取り入れてまだ間がないので、仕方がないが、それでも、徐々に行政サービスは良くなってるようだ。

結婚式  とにかく、4月15日に式を挙げた。ラオスやタイの正月にあたり、道端では人々が通行人や車に水をかけている。この時期を選んだのは、商店や企業、官庁が1週間ほど休むので、遠くからでも式に出席しやすいように配慮したからであった。日本からも友人、娘、孫たちが駆けつけてくれた。 ビエンチャンに住む友人の中には田舎へ帰る者も多くいるが、妻の親戚や友人にはタイに住むものが多く、そちらを優先した。

 15日は、午前中がバーシーと言われる儀式で、日本でいう結婚式だ。日本と同じくこれには親類やごく親しい友人らが出席する。出席者が順番に新郎新婦の前に来て、「鬼は外、福は内」という意味の呪文を唱えて、手首に白くて細い紐を巻きつけて軽く縛ってくれる。終わったときには手首に何十本もの紐が巻きつけられている。この紐はいつ取っていいのかと聞いても、誰も分からない。少なくとも数日間はそのままで、自然に外れればそれでいいとのこと。

結婚式  夜7時から日本でいうところの披露宴をランサンホテルという国営ホテルのレストランを借り切って行った。300人ほどが出席したと思う。ラオスでは結婚式や、誕生パーティなどはほぼ7時から始まるが、実際は8時ころにならないと全員が揃わない。9時ころまでは、歌手の歌や、演奏を聴きながら食事や談笑を行う。9時を過ぎると、ダンスが始まり全員が踊りだす。普通はラオスのダンスだが、私が日本人なので、ブルースやジルバ、チャチャチャを多くしてくれた。でも、これらの曲が掛かると、ラオス人は踊れる人が少なく、ほとんどが席に戻ってしまう。

 以前は、宴会を夜遅くまでできたのだが、法律が変わり、今は、当局の監視が厳しくなって11時30分で終わりである。

 結婚の手続きはまだ終わったわけではなく、日本への届出が残っている。それには英文の結婚証明書が必要で、それはすぐにもらえたが、私の出生地や妻の誕生日が間違っていて、それを修正するのにまた1ヶ月ほど掛かった。それでも、無事に大使館へ婚姻届を提出できた。日本では1ヵ月後くらいに受理されるらしい。
(つづく)