ゲストコーナー   中央アフリカ訪問記
Route   アビジャン13:30発のエアーアフリックが中央アフリカの首都バンギにようやく到着したころには辺りは真っ暗で23:00をまわっていた。ロメ(トーゴ)、ドアラ(カメルーン)、ジャメナ(チャド)を経由しての乗合便、飛んでは止りの連続故精神的に疲れる。アビジャンからパリまで直行便ノンストップで6時間で行けることを思うと誠、近くにあっても遠いアフリカと実感する。
  ホテルは例によってソフィテル。このホテルの側をウバンギ川が流れており対岸はザイールの北端、この川は南下して赤道を越えた辺りザイール川(コンゴ川)に注ぐ。

Ubangui   内陸国の中央アフリカにとって川は交通手段としてもっと利用価値があるはずなのだが乾期に川床が浅くなる致命的欠点がありやはり道路に頼らざるを得ない事情がここにある。しかしこの国の道路事情は総延長13、700kmに対し舗装道路は僅か2%強とお粗末だ。

  鹿島建設が国道3号線の舗装工事を日本政府ODAで91年から手がけている。この国道がいかに重要な役割を持っているかは地図を見ると一目瞭然だ。東はスーダン、北は内陸国チャド、南のザイール、コンゴはザイール川流域で南下する道路がない。従い西のカメルーンを経由して大西洋に出ることで初めて世界に繋がる。実際この国が輸入する貨物はドアラ港に陸揚げされ、カメルーン横断875kmを経て国境に達し、国道3号線に乗って455km、1号線に合流して155kmでバンギに搬入されている。

  この間所要日数約1週間、雨にたたられると2週間を越す。これは政府が山間地帯のラテライト未舗装道路のメンテに手が回らないので道路の痛み、波打ちを極力回避する手っ取り早い策として雨が降ると3号線を通行止めにしてしまう為だ。この大動脈の通行禁止は特に雨期の間この国を陸の孤島にしてしまいかねないのだがしようがない。雨が降ったら走らせないほど重要な国道は傍目には滑稽だが深刻な問題だ。

 鹿島の舗装工事はまだ100km程度しか進んでいない。ODAで拠出できる金額に限度があるし、いつまで道路舗装にODA資金を出し続けうるかという基本的な問題も有るが一年間で30km程度の工事故カメルーン国境到達まであと10数年はかかるという計算になり、国道3号線がこの国にとって不可欠のインフラで有る事を考えればじっくり腰を据えたODAの出し方があっても良いのではないかという心情にもなる。

Morning Meeting   現在鹿島のサイトはバンギから220kmのヤロケに有る。数人の日本人と200人弱の現地人の現場は朝6:30に始まる。昔夏かしいNHKのラジオ体操に始まり点呼、朝の連絡、作業説明、持ち場への移動と実にスムーズで現地人主体で行われているのが実に良い。自分たちの道路を作るのだという気概が伝わってきて活気に満ちている。こんなアフリカで日本風の運営管理が成功している事は嬉しい。

  感心させられる事はもうひとつ、この現場では工程管理、工事進捗報告、給与計算関係全てパソコンネットワークで管理しており現地人が使いこなしているという事、所長は自分のデスクで全体を把握できる仕組みを構築している。アフリカの奥地ゆえ少数精鋭の方針でここまで持ってきた由、本人は移動のランクルの中でパソコンを叩く、通信手段は各種無線、インマルサット等を含め万全の備えである。

1996年7月28日
中山

筆者:
中山登(なかやま のぼる)
在コートジボアール共和国アビジャン市
伊藤忠商事 西・中部アフリカ母店長
1996年7月24、25日に商用で中央アフリカへ渡航したときに鹿島の現場を訪問した


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