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| はじめに
インドネシア共和国(2006年8月作成)
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てっちゃんは1987年5月から1992年4月までの丸4年間、インドネシア共和国で水力発電所建設に従事した。
場所はスラウェシ島の東海岸をウジュンパンダン(現マカッサル)から北上し、パラパレを過ぎてから山の中に入る。詳しくは地図を参照。
インドネシアの他の町と違ってウジュンパンダンにはキリスト教徒が多く、言葉もインドネシアの共通語が使われている。というのは、キリスト教徒の多くいるスラウェシ島のメナドやトラジャ地方、それに、やはりキリスト教徒の多いアンボン島やチーモール島から多くの人が住み移ってきているかららしい。これらの人々はお互い自分たちの言葉では通じないので、標準のインドネシア語を使うことになる。
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発電所建設現場から海岸に出ると少し 沖合いにサンゴ礁でできた無人島がある
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ここでは、英語がほとんど通じなかったので、私たち外国人にとっては、インドネシア語を覚えるのに都合が良かった。
私も必要に迫られて必死で勉強し、3ヶ月で基本的な生活に使う言葉、6ヶ月後にはほとんど不自由しないくらいに話せるようになった。どちらかというと、この国の言葉は日本人にとって学習しやすい。
当時のインドネシアの政治はがスハルト大統領のほぼ独裁であったが、それゆえに国が政治、経済、治安すべてで安定していた。多くの民族、部族、宗教が入り混じっているが、お互いにそのことをあまりに表に出さないようにしていたようである。もちろん、それは民主主義や言論の自由が認められていないということであり、他の民主国家からすれば喜ばしいことではなかった。
てっちゃんは現在ラオスで慈善活動しているが、もともとは活動をインドネシアにしようと考え、それなりの準備もしてきた。しかし、1998年の政変のあと、国内の治安が非常に悪くなり、現地人から「もう昔のようには戻りそうにないから、てっちゃんはここに来ないほうが良い」という意味の手紙が来た。
これで、インドネシアでの活動はあきらめたが、インドネシアがてっちゃんの愛する国であることには変わりない。
インドネシアで撮った写真はかなりあったのだが、ほとんどが行方不明で残念ながら現在公開できない。
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