プロジェクトサイト(工事現場)への移動には軍の護衛(監視)が付き、プロジェクトサイトに付くと出入り口には検問があって、そこから出るには数週間前に申請して許可を得なければならなかった。
といいながら、近くの部落で馬を借り、プロジェクトサイトの裏から道なき道を通って脱走することはできた。この場合も必ず次の日に当局の担当者に呼び出されて「2度とこういうことはしないように」と言われたが、無許可で行った行為なので、この担当者には政府から何のお咎めがないことから、あまり厳しくしかられることはなく、また数日して脱走したものである。
申請さえすれば、外国人に解放された観光地を訪れることは可能であり、在任中に何度か旅行をした。当時は、観光地に行くのは主にヨーロッパ人で、日本人に会うことはほとんど無かった。日本人旅行者の多くは第二次世界大戦の慰霊団だった。
国民は貧しく、政権による締め付けが厳しくて自由の無い国であるが、ビルマ人は温和で顔立ちが日本人に似ていることもあり、ビルメロ(ビルマにメロメロになること)の日本人が多くいたのも確かである。
竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」は終戦時の日本軍の話であるが、ビルマを理解するのにも良い話で、一度読んでいただきたい。
雄大なイラワジ川
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いかだの上に家(バンブーハウス)が建っている
イラワジ川の上流数百kmからラングーンまで数十日かけて下る。
木材のいかだだけでなく素焼きの壷のいかだもある。
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ビルマの玄関 ミンガラドン空港の免税店
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赴任のために最初にこの空港に着いたときは何しろ驚いた。所持している外貨はすべて申告し、国内で使うたびに証明してもらうのである。出国のときにバランスをチェックして、合わないと逮捕される。
所持品も腕時計以外は全部申告し、これも出国の際に書類と照合する。
プロジェクトのための書類が多くあったため、それに対して印紙税を取ると言い出し、係官が入れ替わり立ち代り来てなかなか埒が明かず、最終的にはワイロで決着したのである。
午後2時ころに空港に到着したのであるが、ホテルにチェックインしたのは夜の8時過ぎであった。
インヤレイクに浮かぶ カラウェィクレストラン
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