ベルトアという町

(97/01/21)


  昨年12月23日にカメルーンのこの町ベルトアに来て仮事務所を開いてから既に約1か所を経過した。 到着当初は右も左も分からなかったので少し不安であったが、さすがに1か所も経つと町の事情が分かってきた。もちろん、ヤロケのキャンプには到底及ばないのであるが、それなりに住めば都という感じである。

  来る前から話は聞いていたがカメルーンは中央アフリカに比べると物価が大分安い。 食料や日用雑貨は大ざっぱに見て3割程度安いと思われる。 ベルトアのような田舎町は特に安いようだ。 田舎町というとベルトアの人に叱られるかも知れないが、ドアラの港から600kmも奥地に入るのであるからやはり田舎町であろう。 しかし、ここから更に800km以上行かなければならないバンギは田舎の田舎と言うことになってしまう。

Hotel Mansa
<ホテルマンサ>

  ベルトアで最高のホテルが「ホテルマンサ」で3ツ★である。部屋はちょっとカビ臭く、湯は出たり出なかったりで時々断水するということを我慢すればそれほどひどくもない。 何しろ日本円にして1泊2000円で、バーもあればテニスコートやプールもある。 ちなみにバーでビールの大瓶を1本頼むと150円である。 ただし、プールには水が入っていない。 入っていなくて幸いということもある。 ご承知のようにこの辺りはマラリアの多いところであるから手入れの悪いプールは絶好のマラリア蚊の繁殖地になってしまう。

  中央アフリカから連れてきたローカルスタッフたちは、別のホテルに泊まっている。 「ホテルガレージ」と言う★のないホテルであるが、ダブルの部屋で1泊600円、1人当たり300円である。 この値段ではひどいホテルだろうと思うと大間違い、バス・トイレも付いていて一昔前の建設現場の宿舎よりも良いくらいである。 このホテルの厨房とバーの一部を使わせて貰って、日本人はここで3食たべている。

Market
<ベルトアの露天>


中央アフリカと同じような風景
  市場にはヤロケとは比べ物にならないくらいの品物が揃っていて、野菜などはほとんど問題なく手にはいる。 ディスコも4軒あって、ローカルスタッフは時々憂さ晴らしに行っているようであるが日本人は流石に行く気にはならない。

  町には電気、電話もちゃんとある。 これは中央アフリカと大きく違うところだ。 中央アフリカの場合は電気のあるところは大都市に限られるし、電話となるとバンギ以外にはほとんど無い。 カメルーンでは電話は大きな町に行けばあるし、電気はほとんどの町に供給されている。 ただ電話は非常に繋がりにくい上に回線状態が悪い。 国際電話となると混んでいるときは1時間以上やっても繋がらない場合がある。 それでも無いよりましで、実際には非常に助かっている。

木材ヤード
<ベルトアにある木材の仮置きヤード>


  ベルトアに着いて最初に目に付くのが材木である。どこに行っても材木を積んだトレーラに出会うという感じだ。直径1メートル以上の原木や、すでに製材した木材もあり、全てドアラに運ばれて、海を渡って外国に売られて行くのである。 もちろん日本も大口の顧客であることは間違いがない。

木材トラック
<ドアラ港へ運ばれる木材>


  以前からカメルーンの南東部の熱帯雨林は材木の供給地であったらしい。 しかし、採算の取れる所はほとんど伐り尽くされて、バナナ園などに変わっている。 ベルトアは今では隣の国のコンゴや中央アフリカからの木材の通過地点になっている。

べラボ駅
<ベラボの駅>


  ここからドアラまでの約600kmの内、約400kmはアスファルトで舗装された立派な道だ。 ところがドアラまで既に2回も往復したのにそれほど多くの材木を積んだトレーラに出会わなかった。 ドアラ港には想像を絶するような大きな材木ターミナルが有るのにこれはどう言う事かと思ったら、鉄道であった。 トレーラ輸送ももちろん行われているが、鉄道でも相当な量を運んでいるらしい。
木材伐採地
  ベルトアから80km離れたところにベラボという駅がある。ここから西へ行くとドアラ、北へ行くとガウンデレという駅で終点になり、そこからチャドの首都ジャメナ近くまでは高速道路が延びている。 ベルトアからベラボまでの道もアスファルトで綺麗に舗装されていて、材木を積んだトレーラーやバナナを積んだトラックがひっきり無しに往復している。

  ベルトアは中央アフリカからドアラへ出るときの最初の大きな町であり、我々の工事用の資機材もほとんどがこの町を中継点にして運ばれている。 KAJIMAの名前も町の人に大分知られてきたのか、通り掛かりに良く声を掛けられたりするので、こちらも愛着を覚えてきた。 しかし、正直言って早くヤロケに帰りたい。

1997年1月21日