「てっちゃん」って だれ?

(2008年1月)
(ラオス国日本人会「AJRL」の会報2008年1月号に掲載されたもの)


 凱旋門の展望台からランサン通りを眺めると、右下にビエンチャン・ハイスクールがあり、その入り口に「てっちゃんねっと」というのが見えます。
 これを運営しているのが、私、「てっちゃん」です。


 昭和23年、団塊の世代のど真ん中に生まれ、激動の時代を生きてきた。もともとは、建設会社の土木技師で、10年ほど国内の現場に従事し、残りの25年間は海外工事を担当してきた。8割以上がODA関係だ。仕事をしているうちに、2つのことが頭から離れなくなった。

 ひとつは、発展途上国の援助をしていると言いながら、自分はこれらの国のおかげで給料をもらっているだけだということ。

 ふたつ目は、現場で物作りをすることは非常に楽しく、生き甲斐を感じるが、一生続けられるものではないということ。

 先輩たちを見ると、55歳くらいで現場を離れて営業などの部署に回され、60歳の定年とともに、関連会社に再就職するか、濡れ落ち葉だ。こうはなりたくない。

 45歳のころ、一大決心をした。55歳までに会社を辞め、どこかの発展途上国で、何かをやろうと。とは言っても、土木技術に関すること以外で、できることといえば、日本語が話せることぐらいだ。それも、生粋の大阪弁である。それでも、とりあえず、資金を貯めることと、日本語教育の勉強を始めた。

 ちょうど、そのころから、現場運営にパソコンを積極的に活用するようになり、東京の本部よりも私の現場の方がパソコンによるOA化が進んでいった。そして海外工事部門で突出した存在になっていくにつれ、これを海外での将来の活動の中心にしようと考えるようになった。

 私は組織の中で活動するのが嫌いな性格、すなわち頑固でわがままである。自分自身、それを知っていたので、NGOなどに属したり、それを立ち上げたりすることはまったく考えず、ひとりで、それも自己資金だけでやろうと決めていた。幸い、会社には早期退職奨励制度というのがあって、55歳くらいで退職すると、ほぼ満額の報奨金がもらえた。それを活用すれば資金はどうにかなりそうだった。

 現在、パソコンと日本語、英語、それに折り紙を教えている。生徒から授業料を取ることの無い、一種のチャリティ・スクールだ。

 これを聞いた人は驚くか、感心するのだが、それほどのことではない。年金生活者の多くは年金以外の収入を持たないで生活をしているし、海外に移住した人も多くいるわけで、それらの人と大して変わらない。無理はしていないので、単にラオスに移住したと思えばよい。

 そこで、多くの人が疑問に思うのはなぜラオスを選んだのかである。実は、発展途上国は世界中にあるのだが、永住できるところは少ない。ほとんどの国が、今は安定していても、数年で混乱を起こす。タイのように、年金生活者の永住を認めている国もあるが、もう発展途上国とはいえず、私の出る幕はない。

 当初、長く勤務したことのあるインドネシアでの活動を考えていて、それなりの準備をしていたのだが、90年代末に国中が大混乱に陥った。それで、この国はあきらめて、たまたま旅行で訪れたラオスに決めたのだ。ラオスでの勤務経験が無く、暗い国とのイメージを持っていたのだが、来てみるとそれは間違っていると感じた。

 そのときに出合った今の妻が私のやろうとしていることに共鳴して奔走してくれた。ラオスの政府機関と交渉した結果、今の建物を無償で借りられることになったのだ。初期投資に思った以上掛かったが、ランニングコストはほぼ考えていた範囲に収まっている。

 どうですか? 皆さん? こういう生き方もあるということを知っていただき、将来の人生設計のお役に立つことを願って、ペンを取りました。60歳はすぐ目の前ですよ。