忘れられたビエンチャンの港・タドゥア

(2008年3月)
(ラオス国日本人会「AJRL」の会報2008年3月号に掲載されたもの)


てっちゃんの妻:吉田文華の話


 ビエンチャンの中心部から車で友好橋の方へ向かい、左に曲がらずに、まっすぐ友好橋の下をくぐって1kmほど行くと、タナレーンの保税庫があるのをご存知の方は多いでしょう。そこから急に道は悪くなりますが、さらに2kmほど進むと、タドゥアという村があります。メコン川に面した村です。

 メコン川に浸食された道路から対岸のタイの町ノンカイが見えます。私は、タドゥアで1980年から1995年まで、15年ほど働いていました。当時は、今では想像できないくらい、多くの人がここに集まっていたのです。こう言えばお分かりだと思いますが、ここはビエンチャンの国際港だったのです。ラオスには多くの国際港がありますが、当時、大きかったのはビエンチャン、パークサン、ターケーク、サワンナケート、パクセーでした。今、残ってるのは、パークサンとターケークだけです。

 ビエンチャンには、ホテル・ノボテルの近くにラック・ソン(2km)といわれる港があったのですが、私が働いていたころは、閉鎖されていました。タイのシー・チェン・マイの対岸で便利なのですが、ビエンチャン側の港が都心にあるので、密貿易を取り締まるのに不都合だったそうです。

 タナレーンも貿易港でしたが、こちらは貨物専用。バック(フランス語でフェリーのこと)と呼ばれる、一種の台船がノンカイとここを往復していました。貨物は保税庫に納められて通関するのは今と同じです。私の居た、タドゥアの方は人の往来です。人だけが往復することはほとんどなく、皆、荷物をいっぱい持って、往復していました。その場で通関して、タラト・サオまで持って行くのです。タイから衣類や食料が多く運ばれて来ました。私は仕事の片手間にアメリカの落とした爆弾の破片や、アルミくずを買い集めて、ノンカイで売り、食糧などを買ってきました。これはなかなかいい儲けになりました。

 実は、この港、今でも使われているのです。タイ人とラオス人のみが使えて、主に村人が使っています。昔のノンカイ側の港は川沿いの商店街の中にあり、今ではみやげ物を売っています。そして、タドゥアのちょうど対岸の、ワット・ハイソークに新しい港ができています。

 今でも時々ここに来ます。さびれてはいますが、胸にこみ上げてくるものがあります。仏陀パークへ行く途中ですから、ちょっと車を止めて往時の面影を偲んでみてください。