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逃避行(97/02/21)
ドキュメント(97/02/04)
中央アフリカ共和国は民主主義の国で現在のパタセ大統領も1993年に直接選挙で選ばれた。しかし丸3年過ぎた1996年には政策等で批判が出てきて、4月には軍の一部の兵士が給料の遅配に抗議して、大規模なデモを行った。これは日本人が普通考えるようなデモではなくで銃の威嚇射撃を伴う激しいものであった。
このときは数日で事態は収拾したものの、5月には再びデモを行い最終的には市民による商店の襲撃、略奪にまで発展し、日本人を含む多くの外国人は国外へ緊急待避(エバキュエーション)する事態になってしまった。
これも7月には解決したかのように見えたが11月になって、今度は反抗兵士が首都バンギの一部を占拠して立て籠もり、政府側の兵士とにらみ合いの状態で、解決策が見付からずに1997年の正月を迎えることになった。
1997年1月25日に和解が成立し1月28日から2月4日にかけて鹿島関係者は全員中央アフリカへ戻った。
1996年4月の変
- 4月18日(木)
バンギで一部の兵士が走行中の民間車両を違法接収し、銃で威嚇射撃しながら車両を暴走させデモを行った。
乗組員の身動きが取れなくてエールフランス機が離陸できなくなったため、丁度この日に一時帰国する予定であった鹿島関係者の2名は出国を中止させられた。
- 4月19日(金)
終日デモ騒ぎで外出が出来ない状態が続く。
- 4月20日(土)
鹿島の2名を含めた乗客と乗組員がフランス軍の護衛で空港に移動し、エールフランス機は40時間以上遅れて離陸した。
- 4月21日(日)
デモ騒ぎが収集。
1996年5月の変
- 5月18日(土)
バンギで再びデモ騒ぎが起こる。鹿島関係者は全員ヤロケにいて直接の影響は無し。
- 5月19日(日)
バンギからテレックスで状況の悪化の報告が届く。
- 5月20日(月)
鹿島は燃料の供給が止まることを想定して、工事を中断。重機車両を集積し管理しやすくする。
- 5月21日(火)
バンギ在住の邦人がエバキュエーション(緊急待避)を開始。
バンギ市内では兵士と市民が退去した外国人の空き家を襲撃して略奪を開始する。
- 5月26日(日)
ヤロケの鹿島関係者がエバキュエーションを開始。陸路でボアールへ行き、仏軍の輸送機でバンギへ移動。バンギの仏軍基地で野宿。
- 5月27日(月)
バンギから米海兵隊の輸送機でヤウンデへ移動。
- 5月28日(火)
ヤウンデでパスポートとビザの取得。
- 5月29日(水)
ヤウンデから陸路でドアラへ移動。
- 5月30日(木)
東京までの切符を購入。
- 5月31日(金)
ドアラからパリ経由で帰国。
- 6月2日(日)
成田到着。
- 7月11日(木)
事態が収拾し、鹿島関係者が中央アフリカへ再入国。
1996年11月の変
- 11月16日(土)
バンギ市郊外で4月と5月に反抗した兵士が立て籠もり反政府行動を開始したため、バンギ市内の日本人は外出を自粛した。鹿島関係者はこの時点でバンギに4名いた。
- 11月18日(月)
鹿島関係者4名はヤロケに移動。燃料の供給は受けられたため、工事は続行。
- 11月22日(金)
バンギから市内では燃料が不足状態になっているという報告が来る。
- 12月8日(日)
政府と反抗兵士が15日間の停戦協定を結ぶ。
- 12月18日(水)
バンギ情勢が全く硬直状態で見通しが立たないため鹿島関係者は事務所を仮にカメルーンへ移すことに決定。
- 12月22日(日)
本日で停戦協定が切れるため、鹿島関係者は陸路でカメルーンへ出国。国境の町ガラウブライでキャンプする。
- 12月23日(月)
ベルトアへ移動。
- 12月24日(火)
ベルトアに仮事務所を設営。現場とSSB無線機による通信回線を確保。ベルトアからの指示で工事は現地人のみで進める。
- 12月27日(金)
バンギ在住の民間邦人が出国。これで、バンギの邦人は永住者と大使館関係者のみになった。
- 12月31日(火)
事態を重視した近隣諸国が調停に乗り出しているが一向に進展が見られずにこの年は暮れた。
- 1月1日(水)
鹿島関係者は問題の早期解決を望みながらカメルーンで新年を迎えた。
- 1月8日(水)
日本政府外務省が渡航自粛勧告を発出
外務省渡航情報:
「中央アフリカ:渡航自粛勧告」平成9年1月8日
中央アフリカへ渡航を予定される皆様へ
- 中央アフリカへの渡航につきましては、96年5月に発生した一部国軍兵士による武力抗議行動事件の沈静化にともない、同年7月1日付けで渡航情報(「渡航自粛勧告」から「観光旅行自粛勧告」への緩和)を発出しました。
しかし、その後同年11月15日より、一部国軍反乱兵士がパタセ大統領の辞任を求めてバンギ市内南部地区に立てこもる事件が発生し、一時政府側と反乱軍側との停戦合意が成立し一応の安定を見ていたものの、同年12月27日より市内で一般市民がバリケードを築く等、非戦闘員を巻き込んだ形で情勢が悪化し、更に本年1月4日に至り反乱軍により駐留仏軍兵士2名が殺害され、右に対し仏軍が反撃する等、治安情勢が緊迫している模様です。
- つきましては、事態が収拾するまでの間中央アフリカ、特にバンギ市内及びその周辺への渡航は厳に差し控えていただきたく、「渡航自粛勧告」を発出いたします。
- 1月25日(土)
バンギで政府と反抗勢力との間で和解が成立。
- 1月28日(火)
一部の鹿島関係者がベルトアから中央アフリカへ再入国。
- 2月4日(火)
鹿島関係者全員が中央アフリカへ再入国し、一連の騒動に終止符が打たれた。
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