<連載:てっちゃん in ラオス>


  第5話  開講

話が急展開したので、ビザの切れるのにあわせて一度バンコクへ行き、残りのパソコン20台を注文した。そして、正式に輸入申請書を提出したのである。天井の張替えや排水配管工事、キッチンの設備等、センターの改装をしているうちに1か月ほどが経ったが、輸入許可や長期ビザの発給について何の音沙汰もなかった。

教育局がMOUの手順を間違えたらしく、また手続きを一からやり直し、11月21日に再度調印した。最初の調印から3ケ月が経っていた。今度はさすがにマスコミは呼ばれていなかった。やはりまともにやればラオスでは時間がかかるのだ。

これで、少しは手続きが進むのではないかとの期待があったが、年が変わって2006年の正月が来てしまった。持っているのは短期ビザなので30日ごとに海外に出て更新しなければならない。すでに数回出国して更新しているが、またビザの更新の時期が近づいてきた。

教育局に行き「今度のビザ更新が最後だ。2月に妻の法事で日本に帰るので、それまでに輸入許可と長期ビザの発給がない場合は、もう日本から戻ってこない。」と脅しをかけた。

ビザを取り直してビエンチャンに帰ってみると、なんと長期ビザの取得許可書が発行されていた。このあとも毎日のように外務省と税関に自分で足を運んで長期ビザと輸入許可を取得し、1月末にはバンコクからパソコン等を運び通関も終えることができた。

Chao Fangum Garden
開講式(関係者だけで地味に行った)
現地人の話によると、役所での手続きには小額であるが賄賂が要るらしい。しかし、外国人には弱く、私が直接行くとしぶしぶ手続きを進めるようだ。ともあれ、これでトレーニングセンターの開講はいつでもできる状態になった。

妻の法事でいったん日本に帰り、そのあと7月開講ということで作業を進めることになった。5ケ月以上先になるのはパソコンのセットアップや訓練生の選考に時間がかかることもあるが、4月がラオスの新年であり、そのあと学年末試験が控えていて、学生たちが忙しいというおもに高校側からの理由である。

募集のチラシを作成し、現地従業員に各学校で掲示板に貼ってもらうように指示して日本へ帰った。開講まで時間的に余裕があるので約1ケ月日本で休暇を過ごし、ビエンチャンに戻ってみると、応募者はたったの10名だった。再度学校に説明をして、募集期間を延長したが結局40名の募集枠に対して集まったのは34名だった。よく聞いてみると、募集条件にある数学と英語の点数が厳しすぎるらしい。選考試験をして結果の極端に悪い2名は遠慮してもらったので最終的に32名になった。

そしてついに7月1日、開講式を行ったのである。依頼書を提出してちょうど1年だ。テレビ局と新聞社が来た。テレビで放送されたかどうかは知らないが、新聞には一面の下の方に掲載された。すでに数多く存在するパソコン教室とは趣旨が違うということが強調されていた。

ここまで来るのは本当に大変だったが、手続き自体は6ヶ月ほどで完了したのだから、この国では異例の速さであろう。

(つづく)