外国人がラオス人と結婚するには、市役所へ行って婚姻届を出せばいい。というような甘いものではなく、当局に婚姻許可申請書を出し、受理されなければならない。
市役所で貰って来た申請用紙を英訳すると、12枚の書類を作らなければならないことが分かった。日本大使館に問い合わせると、そのうちの4枚までは戸籍謄本などがあれば作ってくれるとのことだ。残りの書類の中には所得や資産、経歴の証明など、正式には作れないものがあったが、外務省に親切な女性がいて、所得は銀行預金のコピーでよく、資産や経歴も自分で書いて、誰かにサインと印鑑をもらいなさいといわれた。要は、枚数さえあれば良いらしい。時間は掛かったが、案外簡単に書類は出来て、10月末にはそろえて提出できた。4月の結婚式まで、まだ6か月ある。
結婚許可証
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11月、12月は各種の講座で、多忙を極め、どんどん時間が経っていったが、婚姻申請に関してはまったく進展がない。
書類は、どこを回るのか詳しくは分からないが、ステップ・バイ・ステップで非常に時間がかかる。机の上に書類が積んであって、新しいのが上にあり、古いのは下にある。時々行って、下の書類を上にあげてもらわなければ、いつまで経っても、埋もれたままだ。上にあげてもらうには、20〜30円くらいのチップが必要で、相手が「喉が渇いた」といえば、チップが欲しいということらしい。
それでも、12月末に、呼び出しがあり、提出した書類に偽りが無いか口頭での審査が行われた。「生年月日は?」、「お父さんの名前は?」、「お父さんの誕生日は?」。50年以上も前に死んだ父親の誕生日など覚えているわけが無く、「知らない」と言うと、「そうか」で終わってしまう。どうでもいいなら「聞くな」と言いたい。馬鹿みたいな話しだが、申請を受理してもらうための大きな通過点らしい。年明けすぐに受理されるいうので、その日は喜んで帰った。
ところが、それは甘かった。1月になって、書類が足りないと言い出した。1枚でも書類が足りないと、今までに書き加えられたコメントやサインをもう一度もらい直すことになり、一からやり直しに近い。でもホワは知っていた。書類は揃っているのである。それは単なる嫌がらせなのだ。今度のチップは1万円ほど掛かった。
2月末から1か月ほどホワを連れて日本に帰った。ホワにとって日本は始めてで、ハネムーンにはならなかったが、いい婚前旅行となった。日本へ帰る前、役所に「一時、日本に帰るが、4月15日には結婚式を行う」と念を押した。これはかなり効き目のある脅しだったらく、4月はじめにラオスに戻り、結婚式の準備をしていると、10日に受理の運びとなった。市役所へ行くと偉そうな役人がニコニコして迎えてくれ、儀式が行われた。3人の証人の前で、役人が読むことに同意をするのだが、ラオス語なのでチンプンカンプンだ。「イエス」「イエス」と返事しているうちに30分ほどで終わった。
申請が受理されないうちに結婚式を挙げることになると思っていたが、式の5日前に受理されたのである。たとえ、式を先に挙げても逮捕されるわけではないが、婚姻は成立しないし、同居もしてはいけないらしい。
ということで、4月15日、ラオスの旧正月に結婚式を挙げることになった。
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