<連載:てっちゃん in ラオス>


  第7話  婚約

あとで分かったことだが、9月に4年生を募集するのは無理があるらしい。優秀な生徒は地方にいて、4年生になると地元の自治体の奨学金でビエンチャンにやってくるらしい。それで、9月に募集をかけても、まだ、新学年が始まったばかりで右も左も分からず、応募できなかったと言うのだ。

話が前後するが、2006年の夏休みが終わった9月に、生徒のレッスンを夜に変更し、かねて予定していた社会人向けのパソコン講座を平日の昼間に開いた。1回2時間のレッスンを週3回、10週間、合計60時間で、1コースの定員が30名である。社会人なのですぐに実務に役立つようにということでワード、エクセル、パワーポイントの3点をセットにした。

私のプロジェクトはビエンチャン市教育局の管轄下にあり、センターの建物も教育局の管理にある。これをただで貸してもらっている見返りという変な理屈になっているが、私としては時間に余裕があるので少しでもこの国の役に立てればそれで良いという気持ちだ。

教育局管轄下にある役所や学校の教職員が私の生徒で、午後2時から4時までレッスンを行った。こちらもパソコンに触れるのは初めてという者ばかりでどうなることかと思ったが、午後1時になるとかなりの者が来て熱心に学習した。週3回のレッスンなのにそれ以外の平日にも多くの者が勉強に来た。

それもそのはず、給料をもらって勤務時間中にパソコンの勉強をさせてもらっているのだから、彼らにとって、これほどありがたいことはないのだ。

Trainees
パソコン講座に参加した社会人
毎日のように午後は職場を空けていて、業務に支障は無いのかと思うだろうが、問題はあまりないのである。彼らの月給は40ドル程度で非常に安いが、計画経済時代のツケで、元禄時代の武士のように御同役が多くいて、仕事も給料に見合うほどしかないらしい。

2006年9月12日から11月17日までに1コース、11月22日から2007年1月26日までに1コースの合計2回のコース開き、卒業生は53名になった。第1期生の卒業式の模様は地元の新聞とテレビのニュースで紹介された。

話は変わって、皆さん、「第2話 出会い」で登場したホワという女性を覚えているだろうか。彼女は友好橋のラオス側で旅行エージェントをしていて、橋の開通当初は車両の通行手続きの代行業務などでかなり忙しかったのだが、そのうち手続きが簡素化されて、仕事が少なくなってしまったので店を閉じ、ずっと、トレーニングセンターの開設に奔走してくれていたのである。

社会主義国独特の役所の手続きをご存知の方もおられるだろうが、すでにお話したように、それはもうびっくりするくらい、いらいらすることばかりなのだ。それを彼女が精力的に役所回りをしてくれて、2006年7月の開講にこぎつけたのだった。

それで相談の結果2人は結婚することにした。妻の三回忌もすでに終えていたので、2007年2月の3年目の法事のあと、4月のラオスの正月に合わせて結婚式を挙げることにし、口頭で婚約をした。結婚の手続きに6ヶ月くらい掛かるらしいので8月に手続きを開始した。

結婚式に間に合うのだろうか。

(つづく)